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東京オリンピックのボクシングの階級と選手!佐藤幸治と高山勝成は?

2019/09/06
 
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高山の五輪挑戦の夢散る、残る佐藤の夢や如何に!

 

 プロボクシングの世界主要4団体での元ミニマム級チャンピオンの高山勝成選手の東京オリンピック2020への出場の夢が、8月31日に岐阜市で行われた全日本選手権の東海地区予選の1回戦で日大の選手に敗れ、はかなく散った。

 

 愛知県代表で36歳の高山はフライ級(49kg~52kg)にて三重県代表で日大3年の宇津輝(うず・ひかる)に0-3の判定負けだった。

 

 サウスポーの宇津は1-2ラウンドリードし、最終の3ラウンドに自分より15歳も年上の高山の必死の猛攻をなんとかしのぎ、微差の勝利をものにした。もっとも、宇津は翌日の試合で優勝した坪井智也に一方的に敗れている。

 

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高山勝成の今後は社会科の教師を目指す?

 

 多くのマスメデイアが取り囲む中、高山は潔く引退を表明した。高山は現在、名古屋産業大学の3年生で、将来的には高校の社会科の教員免許を取り、教師になりたいとのこと。文字通り世界を股にかけて戦ってきた高山は自身の目を通して見た経験を生徒らに伝えるのが望みと述べている。

 

 もし実現すれば、それはそれで画期的なことだ。ほとんどの人は大学で何らかのスポーツ関係の指導者的な仕事に就くものと思っていたのだから。

 

試合の翌日、「挑戦したことに悔いはない。ボクシングが大好きだからここまで頑張れた」とすっきりとした表情で語った。

 

 ただ、社会科教員の教員免許の取得の為の試験は生半可な倍率ではありません。

 

ただ、ここまでボクシング一筋に打ち込んで来た高山が、グローブを教科書に持ち替えてチャレンジするのも長い人生の中で有っても良いのではないだろうか。

 

 高山は「諦めない気持ちを次世代に伝えていきたいのです。教員になって、それをやろうと決断しました」と以前からマスコミ関係者に語っている。

 

ボクシングが恋人だった高山だが、是非とも難関の社会科教員の教員免許の取得を目標に第二の人生を切り開いていって欲しい。

 

我々は影ながら見守ってあげましょう。

 

 

東京オリンピック!次は佐藤幸治の番!?

 

 高山より一足先に東京五輪を目指してアマチュアのリングに戻ったのが元プロボクシング東洋太平洋ミドル級(OPBF)のチャンピオンの佐藤幸治だ。

 

アマでは2000年のシドニーと2004年のアテネ五輪の予選で敗れ、日大ボクシング部から自衛隊体育学校を経てプロ入りした。

 

 佐藤といえば、2003年に当時まだ高校生だった村田諒太(現WBA世界ミドル級チャンピオン)を全日本の試合で1ラウンドにRSC(プロのテクニカルノックアウト)で破ったことがよく取り上げられるが、現在38歳の佐藤は「こちらが単に当時社会人だったので勝てただけです」と謙遜する。

 

 アマチュアでタイトルを総なめして2004年に帝拳ジムからプロ入りして、OPBFタイトルマッチでの活躍を始め、2009年にはドイツまで行って世界タイトルマッチに敗れたとはいえそれなりの活躍を見せてくれた。

 

2011年暮れに日本チャンピオンの淵上誠と佐藤のOPBFのタイトルを賭けた王座統一戦に敗れ、2012年に引退した。丁度ロンドン五輪で村田が金メダルを取った年だ。

 

 日本人に負けたら引退しようと思っていた佐藤は、そこでグローブを壁に吊す。

その後、村田は帝拳入りするわけだから、プロでは佐藤と村田は、ほぼすれ違いのボクシング人生だった。

 

 

東京オリンピックのボクシングの階級は?東京でやる五輪だから出たい!と佐藤

 

 周りからはボクシングをやりきった感で見られていた佐藤は4年前に結婚し、現在可愛い男の子もいる。

 

一時、仕事を転々としたが、現在は警備会社に落ち着いている。

 

 そんな佐藤だが、やはりボクシングとオリンピックの魔力にはかなわなかったようだ。

 

日本人に負けたら引退すると決めていた佐藤が日本人に負けて引退したのだが、「あれが最後で良かったのか?」と自問するようになり、そして東京で五輪が開かれることに強いこだわりを持っていた。

 

 佐藤の中ではオリンピックというのは特別な存在で、しかも東京で開かれるのなら絶対にメダルを取れるとの思いに取り付かれた。

 

佐藤によると、これはお金の為ではなく、新しい人生を踏み出すためにはどうしてもオリンピック東京大会に出なくてはならないと本人の弁。

 

佐藤の目指すミドル級(69kg~75kg)は、欧米人には体格的にも競技人口の多いクラスだ。

 

 でも現実には支えなければならない家族もあるし、男のロマンだけで目指せるほど五輪は易しいものではない。

 

佐藤は今年の初めに奥さんに仕事を辞めてオリンピックを目指したいと告白すると、佐藤の性格を知り抜いている奥さんは黙っていたそうだ。

 

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東京五輪の持つ魔力とは?

 

現在勤める警備会社の社長が理解を示してくれて、五輪出場がはっきりするまでは休職扱いにしてくれたそうだ。

 

それでも、生活費や練習の費用がかかるので、現在自宅マンションを売りに出してまで費用を捻出しようとしているらしい。

 

東京五輪出場の第一歩として、ボクシング全日本選手権・東京都予選が6月30日行われた。

 

ブランクのある佐藤だが何とか2-1の判定勝ちで9月14から始まる関東地区予選に駒を進めている。

 

ここで優勝すれば、次はいよいよ11月に行われる全日本選手権に出場が決まる。

 

佐藤によると、プロで東洋太平洋の王座になっても五輪を忘れられないとのこと。

 

ましてやそれが来年東京で行われるとあっては、じっとしいてられないそうだ。

 

 

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