ボクシング世界チャンピオン日本人の歴代と最強は?F原田と井上尚弥
日本で最初に白井義雄が1952年5月19日に世界フライ級チャンピオンになって以来、いわゆる星の数ほどの世界チャンピオンが生まれました。
しかし今日では世界チャンピオンの価値は当時とは比べ様もなく劣化し、希少価値の下落は目に余るほど激しいものがあります。
ちなみに、この5月19日はボクシングの日として、今日でも折に触れて色んなイベントが後楽園ホールで開催されています。
世界選手権は15ラウンドで行われ、それに統括団体(実質的にはWBA)も一つしかなく、当たり前のことですが、世界チャンピオンと言ったら、世界に一人しかいないから世界チャンピオンの時代でした。
目次
ボクシング世界チャンピオン日本人の歴代と最強は?F原田が救ったボクシングの価値とは?
白井が王座を失って8年後に、ファイティング原田が世界フライ級王座を奪取しましたが、戦後まだ17年しか経ってなく、国中が原田の勝利に沸きました。
ただ、原田に減量の苦労がついてまわり、初防衛戦で王座を失うと、一階級上のバンタム級に転向し、世界再挑戦の機会をうかがっていました(当時はスーパーフライ級という中二階的な階級は存在しませんでした)。
フライ級からヘビー級まで8階級しかなく、現在の17階級なぞ考えられませんでした。
そんな原田に挑戦のチャンスが廻ってきたのは1965年5月18日にブラジルの「黄金のバンタム」の異名を持つエデル・ジョフレへの挑戦でした。
48戦して無敗で、8連続KO防衛中のジョフレにはどう贔屓目に見ても原田の勝ち目はないと思われていましたが、一進一退の物凄い攻防の末、2-1の僅差の判定で原田が二階級制覇を成し遂げました。
一年後に両者の再戦が行われましたが、今度は明白な判定で原田の手が上がりました。
なお、この試合のテレビの視聴率は現在まであらゆる番組を含めても歴代5位の63.7%です。防衛を重ねるうちに、すっかり原田の名前は一般の人々にも知れ渡りました。
そんな原田もバンタム級の5度目の防衛戦で僅差の判定負けを喫すると、階級をまた一つ上げてフェザー級で世界を目指しました(ここでも、現在のスーパーバンタム級は存在しませんでした)。
不可解な判定の為、夢と散った3階級制覇とは?
そして、1969年にはオーストラリアでWBC世界フェザー級チャンピオンのジョニー・ファメションにシドニーで挑んだ試合。
原田が合計3回もダウンを奪い、15ラウンドを戦い終えた時は誰もが原田の明白な判定勝ちと思われたのですが、何と、レフェリーが一人でジャッジを兼ねて務めており、試合が終わるや否や、両者の手を挙げて引き分けのジェチャー。
ところが、採点表を計算すると計算ミスがあり、後で原田の判定負けに覆されました。
つまり、レフェリーの“ミス”さえなければ、原田は現在の階級で言うと、フライ級からフェザー級までの5階級を制覇に相当する大快挙を成し遂げたことになります。スーパーフライとスーパーバンタムは当時存在しませんでしたから。
もっとも、存在していたからといって、原田がすんなりとこれらのタイトルを奪取したかどうかは相手にもよりますから分かりませんが、当時の原田の勢いからしてほぼ間違いなく取っていたと思います。
先日、井岡一翔が日本人男子ボクサーとして初の4階級制覇を成し遂げましたが、原田は事実上5階級制覇を丁度50年前に達成していたのですね。
良い時代に世界チャンピオンになった原田と井上尚弥
ここでWBC世界フェザー級チャンピオンとあるように、初めてWBCの名前が出ましたが、設立は1963年ですが、存在力を示し始めたのが、1968年頃からですので、原田はほぼ一つの承認団体の下(WBA)で全盛期を終えたといっても過言ではないでしょう。
なお、現在の主要承認団体はWBA,WBC, WBO, IBF と4団体あり、17階級のうち、多くの階級で、正規チャンピオン、暫定チャンピオン、スーパーチャンピオン、ダイアモンドチャンピオン、名誉チャンピオン、などが混在しております。
先日、IBFの唯一のチャンピオンだったプエルトリコのエマヌエル・ロドリゲスを一方的なTKO勝ちで一躍 World Boxing Super Series (WBSS) の決勝に駒を進めたWBA正規チャンピオンだったモンスター井上尚弥。
IBFこそ現在、井上が唯一のチャンピオンですが、WBAは井上に統一チャンピオンという名称を与え、年内にも決勝で対戦する予定のノニト・ドネア(比国)はWBAのスーパーチャンピオンのままです。
そして、井上が保持していた正規チャンピオンの座は空位になっております。空位という名称は誰かをまた井上の居た地位に持ってくるという事でしょうか? 必要ないなら使わない言葉です。
おまけにWBAはゴールドチャンピオンなるタイトルを作り、またいわゆる世界王者を増やしました。
WBAが一番たち悪いが、WBCも最近フランチャイズ王座を定め、強豪チャンピオンをその座に座らせたのです。
こうなると、もう何が何だか訳が分かりませんが、思えばファイティング原田は良き昭和の世界チャンピオンが一人しかいない時代にボクシングが出来て、パッピーなボクシング人生を全うできたと思います。それに比べ、しっかりとしろ!令和のボクシング界と言いたいです。