杉内俊哉ガタ落ち!年俸推移と現在の成績は?戦力外と引退と離婚も
巨人の杉内俊哉(すぎうちとしや)投手は、1980年生まれの所謂松坂世代の投手です。
ソフトバンク時代には、和田毅投手と共にダブル左腕エースとして活躍しました。
また杉内俊哉投手は、13球団全てから勝利を挙げている投手です。
近鉄があった時代に、近鉄から勝ち星を挙げ、ソフトバンク時代に巨人から勝ち星を挙げています。
楽天からも勝ち星を挙げており、13球団全てのチームから勝ち星を挙げています。
この記録を1番最初に達成したのは、現ソフトバンクホークス監督の工藤公康監督です。
工藤公康は、巨人時代に200勝を達成していますが、その試合でプロ入り初となる決勝ツーランを放っています。
目次
杉内俊哉投手のソフトバンク時代
杉内俊哉投手を語る上で、ソフトバンク時代の話抜きには語れません。
入団2年目の2003年に、二桁勝利を挙げ頭角を現します。
更なる飛躍が期待された、2004年のシーズン序盤に、千葉マリンスタジアムで行われた、千葉ロッテマリーンズ戦で早々とノックアウトされてしまいました。
自分自身に腹が立った杉内俊哉投手は、帽子とグローブを投げつけた後に、城島健司の制止を振り切って両手でベンチを叩き、両手首を骨折し、このシーズンを棒に振りました。
球団からは600万円の罰金が課せられました。
当初は100万円でしたが、事態を重く見た球団は罰金額を大幅に上げました。
そして翌年は、18勝を挙げ最多勝。
防御率2.11で最優秀防御率のタイトルを獲得し、投手としては最高の名誉である
沢村賞を受賞し、2年分の活躍をしました。
その後も、数々のタイトルを巨人移籍前までに獲得しています。
杉内俊哉投手の輝かしい成績ノーヒットノーラン
巨人移籍元年に、楽天ゴールデンイーグルスとの交流戦で、9回2死まで1人のランナーを出さないパーフェクトピッチングをしました。
27人目のバッター田中将大投手の、代打中島選手に際どい球が外れ、フォアボールを出し完全試合はなりませんでしたが、次のバッター聖澤選手を見逃し、三振に切って取り、ノーヒットノーランを達成しました。
交流戦で日本人投手が、ノーヒットノーランを達成したのはこの時が初めてでした。
杉内俊哉投手が巨人にFA移籍してきて、1番良い投球内容だった事は、今さら説明するまでもないと思います。
現在のケガの回復状況は?戦力外や引退と離婚の噂は?
2015年10月1日に、股関節の手術を受けたあとリハビリを行っています。
手術を受けた後の状況は、一進一退を繰り返している状態で、1軍復帰のめどは未だ立っていませんね。
このままでは、いずれは戦力外?とかいよいよ引退なの?と囁かれても仕方ありませんね。
ぜひとも巻き返してほしいのですが。
また、フライデーで明るみになった、杉内俊哉投手の女性問題からの離婚の噂については、今のところ落ち着いている模様ですね。
杉内俊哉の現在の成績からの年俸はガタ落ち?
巨人に移籍してきた時は、年俸は4億5000万円でしたが、今季(2018年)の年俸は3000万円プラス出来高です。
全盛期から、4億円以上も年俸が下がった事になります。
正にジェットコースターですね。
2016年・2017年は、故障の影響で1軍での登板はなし。
今季も6月22日現在、1軍での登板はなしです。
このままいったら、さすがに戦力外になるのではないかと思ってしまいますね。
あれだけのポテンシャルを持っていた左腕が、故障をきっかけに年俸もがた落ちです。
まとめ
松坂大輔投手も復活しましたから、杉内俊哉投手も必ず復活出来ると思います。
巨人ファンも首脳陣も、また1軍のマウンドで躍動する日を待っています。
年俸3000万円から、巻き返しに燃えて欲しいですね。
スピードは以前程はもう出ないとは思いますが、テクニックで交わして欲しいですね。